【きむらの随想】変わるべきものと変えてはならぬもの…情報システムへの警鐘

時代が変わります。昭和から平成、そして新たな元号へ。

変わるべきものと変えてはならぬもの

次の元号は、どうなる?というマスコミ報道が巻き起こる中で、並行して西暦を標準的な文書の日付記載や日付(記録)管理方法として採用しようという流れと併記しようという意見も聞こえてきます。かたやAIやを代表とする情報技術は恐ろしいほどのスピードで進化を続けています。CMではお馴染みのキャラクターを模した”スピーカーとマイク”搭載の機器が紹介されています。機器自体は、昔からあるAudioとMicro Phoneを抱き合わせた小さな製品にすぎません。ところが、と組み合わせるだけで音声認識技術が会話による機器制御やメール、Web siteの情報を音声で読み上げてくれる最新の/AI機器に変貌します。

実のところ、機器を構成する部品代と組み立て費にスマホとのWiFi/Bluetooth等での通信機能を組み合わせたアッセンブリー技術と製品意匠により何百円の製品が何千円の市場価格に変貌します。
IT 業界だけでなく世の中全体の発想が、このような「組み合わせ技術」の流れに乗っているように考えるのは筆者だけではないと思います。いわゆるコネクテッドカーや自動運転、果ては民泊事業とその施設運用等人間の労を支援するための組み合わせ技術や、政治家の「つぶやき」による世論を形成する情報発信(操作)までが、このような組み合わせ技術の産物です。いわゆる「つぶやき」は、旧来Tickerと言われるメッセージング技術をに持ち込んだものです。

さて、このような流れの中で、改めて元号の話に戻りますと、元号が変わるからシステムを変えるという一見すると普通のよくある話は、本来、私たちは、どの暦で生活し、行動することが庶民の身の丈として最適なのか?という問いかけをせずに行われています。逆に言えば、特定の暦を使わなければならない理由と場面は、どのような根拠によるのか?を問わずに過ごしてきたのかもしれません。

「文化?」「文明?」

話が遠回りしたようですが、「文化」と「文明」が区別なく混在してしまったのが今の世相と言えるのではないでしょうか?元号を文化として捉えれば、その文化の中では元号を用いれば良いのです。や文明生活では西暦を使えば良いのです。
情報システムが提供する利便性や支援は、いわゆる文明であり文化ではありません。例えばスポーツという文化には、による鳥観撮影技術や映像の高精細化などの文明=技術が役立ちます。しかし、文明から見れば文化とは、一つの素材の集合体(グループ)でしかないのです。 スポーツという文化には、陸上から海、果ては空までを舞台にした世界観のなかで人間が主役で躍動する姿と感動があります。

つまり「社会全体が技術的な組み合わせで寡占化」されつつあり、その果てには、文化的=多様な営みの系譜と心の育(はぐくみの)のダイナミズムが失われつつあるのではないかと危惧しています。現代の文明社会では機械化が進み「働く」ということすら考え直さねばなりません。「働く」は、人のために動くと書きます。よく働くとは、他人のために心を尽くして動くことを指します。

ところが、自らの「居心地よさ」を「働く」という定義に持ち込んだことにより、その範疇でのみ働くことを受け入れるというおかしな事象が蔓延し始めています。昔は、これを我儘と定義したものです。

昔は、これを我儘と定義したものです。
つまり情報を含めた人間の能力や限界を支援する技術やシステムの進展は良いことばかりでなく、致命的な人間の過ちを知らずに助長することで、密やかに闇を育てることにも繋がっていると考えるべきでしょう。
アジャスターは、この文明の利器をどのように使いこなし制御すべきなのでしょうか?

の保護法

ヨーロッパで始まったGDPRという個人情報の保護法令は、人権という文化に根ざした歴史世界の産物であることを認識しなければなりません。この法令は、いわば文明技術への戒めかもしれません。

木村雅彦 ITアドバイザリー/ ONLINE統括編集長 欧米で約15年間にわたり自動車産業、通信分野でのIT活用スキルを取得。帰国後、ITベンダーやシンクタンク、弁護士法人でのIT 新技術の実用化と事業化支援、IPデータ通信を利用したBIGデータ分析モデルの検証、社会人向けビジネススクール講師として戦略的ITマーケティングと市場統計分析へのIT活用を体系化。現在は航空機の飛行データ解析を支援している。

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